mstk's diary

新聞コラム

余録 【池波正太郎と司馬遼太郎】相性を超えた共感を楽しむ

 江戸っ子と浪速っ子。東京人と大阪人。何かと比較されるのが二都の人たちだ。金銭への執着とか、さっぱりしているとか、粘っこいとか、初物への態度が違うとか。

▲当たっているのかいないのか、面白おかしく対比するのが世のならい。でも、都会人同士、意外に相性がいい面もあるのではないか。そんなことを思ったのは、司馬遼太郎池波正太郎にあてた手紙やはがきがみつかり、「オール読物」5月号に掲載されていたからだ。

▲〈三月一日でカイシャをやめました。やっとこれで池波さんとおなじ場所で心境を語れます〉〈御作やっぱりほうぼうで好評ですぜ。あんなに照れたりして、せっかく評判を教えたげたのに教えたげ甲斐がありません〉。1960年代前半ごろ、同年(23年)生まれの2人は親しく行き来していたらしい。

▲東京・浅草生まれの池波と大阪市浪速区出身の司馬。司馬はなぜ、これほどまでに池波にひかれたのだろう。池波が死去した時に彼がつづった追悼文が参考になる。

▲そこで池波を「自己陶酔症(ナルシシズム)という臭い気体のふた」をねじいっぱいに閉めていたと評している。司馬は「自己陶酔症」を嫌悪していた。たとえば、先の大戦で軍部などの「自己陶酔」もあって、ひどい経験をしたことは創作の原点だ。そして、その歴史小説は「自己陶酔」と対極的な複眼的思考に貫かれていた。このへんに池波に魅力を覚えた理由があったのではないか。

▲連休中に旅をした人は少なくないだろう。土地柄の違いを味わうのも面白い。でも、相違を超えた共感をみつけるのはもっと楽しい。文人の交流から、そんなことを考えた。