mstk's diary

新聞コラム

春秋 小沢一郎民主党元代表の裁判をスタートラインから考える

 「裁判について考える」という谷口正孝元最高裁判事(故人)の著書がある。23年前にこの本が出た頃、裁判員裁判検察審査会の強制起訴に仕組みもなかった。しかし、裁判を考えるスタートラインに戻りたいときは読み返している。

▼丸めて言うと、たとえばこう書いてある。悪をなした人間を罰することで社会の秩序や治安を守ろうという発想は果たして正しいのか。そうした発想の裁判官が、検察官との馴れ合いの意識をもって検察の筋書きにのっかった判決文を書くのではないか――。刑事裁判のあるべき姿はそうではない、と谷口は説いた。

▼裁判とは国民の基本的人権、自由を公権力から守るためのものだ。だから、国民に裁判を受ける権利があるのであり、裁判官は検察官に対し厳しい批判者の姿勢を貫かねばならない、という主張である。ともすればないがしろにされてきて、でも谷口さんが言うとおりだった。そんな考えは最近になって強まる一方だ。

▼そのスタートラインに立って小沢一郎民主党元代表の判決を読む。強制起訴だって公権力の行使には違いはない。裁判所が「無罪」という答えを出したこと、加えてそもそもの検察の捜査手法を批判したことに、何の不思議もない。被告が誰であろうが……。スタートラインに立つとはそういうことである。