mstk's diary

新聞コラム

余録 男が女を装い【平仮名】で書かれた土佐日記

 「をとこもすなる日記をいうふものを、をむなもしてみんとてするなり」。男が書く日記を女も書いてみようという「土佐日記(とさにっき)」の冒頭だが、「をむなもしてみん」には「をむなもし(女文字=平仮名)」という言葉が埋め込まれているという。

▲文献学者の小松英雄(こまつ・ひでお)さんの説で、書き出しの「をとこもす」も「をとこもし(男文字=漢字)」の重ね合わせだと見る。つまり日記は漢字で書くものだが、自分は平仮名で日本語の表現のままに書き表すぞという宣言なのだという(石川九楊=いしかわ・きゅうよう=著「ひらがなの美学」

紀貫之(きの・つらゆき)が筆者を女性に仮託し、仮名で記した初の日記文学である土佐日記だ。仮名文字だからこんな言葉の芸当ができるのだとのっけから示してみせたならば、さすがというべきか。土佐日記は935年ごろ成立した。

▲9世紀後半とうからそれより何十年か前の遺物である。平安時代の貴族の邸宅跡から、平仮名が墨書(ぼくしょ)された土器が多数見つかった。ちょうど漢字の万葉仮名から平仮名がうまれた時代で、その成立の歴史の空白を埋める「最古級の平仮名」の発見ということなる。

▲気になるのは書かれている言葉だが、なにしろ「最古級」だけに判読は容易ではない。が、中でも判読できた言葉の一つが「ひとにくしとお(も)はれ」という思われぶりな語句だった。平仮名でこうあると「憎い憎いはかわいいの裏」などという俗諺(ぞくげん)も浮かんでくる。

▲宴会で器に歌が書かれることもあったという当時だ。さて「ひとにくし」と記したのはどんな人物か。もしや女を装った男のいたずらでは……などとあらぬ妄想も呼び起こす平仮名の力だ。