mstk's diary

新聞コラム

天声人語 天下の春

 季節の話題を書いて頂戴する便りに、日本列島の「長さ」を思うことがある。いつぞやも梅のことを書いたら、南国からは「とうに散った」、北国からは「雪中でまだ蕾が堅い」といただいた。東京の季節感ばかり書いて、お叱りを受けることもある。

 ▼<北国の弥生は四月>というのが、越後育ちの師人堀口大学の実感だったらしい。<そして今/四月になって、梅桜桃李(ばいおうとうり)/あとさきのけじめもなしに/時を得て、咲きかおり……>。最晩年に故郷をうたった詩句から、北国の遅い春の、あふれるような百花繚乱が目に浮かぶ。

 ▼♯梅は咲いたか桜はまだかいなーーの小唄は暖地の感覚だろう。梅から桃、そして桜の順に前線は旅立つが、手元の文献を見ると、北に行くほど時間差は縮まる。四月下旬に東北北部でほぼ並び、5月にかけて一斉に津軽海峡を渡っていく。

 ▼主役級の花に限らない。辛夷(こぶし)も木蓮も、菫(すみれ)ほどの小さき花も、この季節、さまざまな花前線がさざなみのように通り過ぎていく。昨日が100年の命日だった石川啄木の日記にこんな一節がある。

 ▼<渋民村の皐月は、一年中最も楽しい時である。天下の春を集めて、そしてそれを北方に送り出してやる時である>。5月の描写だが、ふるさと岩手の遅い春の歓喜は、堀口の詩と通じあう。

 ▼石川啄木記念館に聞くと、いまも畑に少し雪が残り、桜は蕾が堅いそうだ。だが、冬ざれからようやくフキノトウが出てきたという。「天下の春を集める」まで、もういっときである。